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はじめまして、木の香る家工房・彩建協の代表理事をしております稲垣和男です。
私は、みかんで有名な愛媛県の東宇和郡西予市で生まれました。今は埼玉に住んでおりますので、埼玉の方は想像つかないと思いますが、どんな所かと申しますと一言で “田舎”です。
そんな田舎育ちの私が、家造りに関わるようになったのは、父の経営する建築会社を受け継ごうと思っていたからです。その為の修行として最初は、大阪の大鐵工業建築部に入社して、鉄筋コンクリート造を学びました。当時は無我夢中で、がむしゃらに仕事に励んでいたせいか、家をつくる喜びや感動はなく、早く仕事をおぼえて一人前になることに一生懸命でした。
そんな頃、私が22才の時に父が突然他界しました。
若かった私は、父の会社を受け継ぐことも出来ず、そして目標を見失い、いろいろ悩んでいました。
そんなとき私に人生の転機が訪れました。
それは、千葉にいる兄からの一本の電話でした。
『千葉県柏市の、兄の会社で、一緒に仕事をやらないか』と言うものでした。
その会社では木造住宅が主流で、木造の知識のあまり無い私には、大変そうだったので、悩みました。でも同じ建物だと思い上京し、その会社で多くの現場経験により、沢山の大事なことを学ばせて頂きました。
それは、木の香る家工房・彩建協の考え方の基本にもなっている、大工棟梁の伝統の技、大勢の職人たちの心意気、それを合わせて一軒の家が出来上がるよろこび、そしてお客様の満足した笑顔、・・・本当に充実していて生きがいを感じることができました。
これらを学べたことは、今でも私の財産と思っていますが・・・
住宅についてこれだけ勉強している私でも、失敗してしまったのです。
それは、自分の家を建てたときのことでした。当時の私は、自己資金も無く農協で借り入れをし、家づくりを行いました。幼少期から借屋住まいで自分の家を持つことに人一倍、強かったので、念願の自分の手で造った家でした。家を持つことにこだわったため、住めれば良い家を建ててしまいました。
そのため、内装材は新建材を多く使ってしまったのです。
それが、息子の健康に悪影響を及ぼすことが住んでしばらくしてわかりました。建ててすぐは、普通に生活をできていたのですが、日に日に、息子(当時7才)のぜんそくの発症、アトピーの湿疹がひどくなり、夜中病院に行き吸入器に向かうようになったのです。
当時シックハウス症候群の問題は新聞やテレビで聞いてはいましたが、まさか自分の家族におよぶとは・・・
自分の建てた家に住んで、初めて住むヒトの家族の気持ちがわかりました。また、建築材料からの化学物質の影響が思っていた以上に大きいことを知り、建築にたずさわる者として、そしてヒトの親として責任を感じました。
この経験がなければ今でも新建材を多く使った家を造り続けていたかも知れません。
だから、私は無垢の木の家にこだわっているのです。
そして、無垢にこだわった家づくりをして最近思うのは、小学3年の頃、故郷の森にあった樹齢50年から60年の木を柱に使っているかもしれないということ。
そう思うと故郷と遠く離れた場所で、故郷の木を使用していると思うと感慨深いものです。
私たちの家づくりは、日本の自然から生まれた大切な木を、大工の棟梁が1本1本丁寧に気持ちを込め、お施主様の夢を叶えるお手伝いをすることです。
大切に造り上げたお施主様の家を見て頂いた時の家族の笑顔を見た時、私たちも一緒に笑顔になります。
家族が健康に暮らせる家でなければ、楽しく暮らしていけません。
これからも家族の笑顔の絶えない家づくりを日々努力していきます。


